2015/08/07

殿さまと浮世絵

浮世絵といえば、庶民が楽しむものというイメージが強いですよね。人気の役者や花魁の絵姿に、幕政への批判をこめた風刺画、露骨な男女の交わりを描く春画などなど…。
ときには幕府から発禁処分を受けることも。
ですが、そんな浮世絵を、庶民だけでなく、立派な大名家の殿さまたちも楽しんでいた、と聞くとちょっと驚きませんか? 

 ◆幕末の浮世絵マニアさま、尾張藩主・徳川慶勝◆ 
幕末の尾張藩主・徳川慶勝は、長州征伐の征討軍総督に命じられるも、大政奉還後は新政府側につきました。そして、藩内の多くの佐幕派を斬首、弾圧(青松葉事件)したことにより、名君か暗君か、大きく評価の分かれる人物です(会津藩主・松平容保の兄であり、高須四兄弟のうち一番の年長)  

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慶勝自らが自分を撮影した、つまり殿さまの自撮り写真。文久元年9月撮影
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▲高須藩主の息子として生まれた、高須四兄弟として知られる四人。これは明治11年に銀座の写真館で撮影されたもの。右から、尾張藩主・徳川慶勝、一橋家当主・一橋茂栄、会津藩主・松平容保、桑名藩主・松平定敬
 

政治面での彼はここではさておき、プライベートにおける慶勝は、カメラ好きとして知られる最後の将軍・徳川慶喜に勝るとも劣らない、カメラ男子でした。自分で自分自身を撮影するほか、松平容保はじめ弟たちの写真をとったり、今ではほかに知ることのできない貴重な建物も撮影しています。またそれ以外にも、殿さまの教養として書画をたしなむほか、木彫りをしたり、昆虫の標本や押し花を作ったりと、実に多趣味!

そんな慶勝がコレクションしていたものが、浮世絵でした。残念ながら実物は現存していませんが、「内密御買上物留」という一冊で、その内容を知ることができるといいます。内密にお買い上げ…なんて意味深な響き!これは、御用商人と慶勝とのプライベートなマル秘書状の写しだそう。そのほとんどが、浮世絵に関するもので、題名や筆者、購入先、金額までかなり具体的に記されているのだとか。さて、殿さまは、一体どんな浮世絵を見ていたんでしょうか。ドキドキ… 

◆それだけはお察し申し上げますの巻◆ 
この書状がやり取りされていたのは、元治元年(1864)~慶応四年(1868)の4年間。慶勝は、なんと幕政を批判する風刺画や時事錦絵を購入しています。河鍋暁斎の幕府を骨なしと揶揄した大蛸の絵や、月岡芳年の禁門の変を皮肉った百鬼夜行など、まさに庶民から見た為政者像や社会情勢を、厳しい幕府の目をかいくぐって巧みに表現したものばかり。このような風刺画から、慶勝は客観的に幕府のありようを眺め、情報収集していたようです。
 

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▲河鍋暁斎「狂斎百狂 どふけ百萬編」
幕府を骨なしとして、大蛸の姿に。鍾馗は水戸、頭に鯱が尾張、その周囲は長州など攘夷を唱える諸大名とする見方がある。面白いのは、これを慶勝にわたした商人が「判じ物のようですが、何を意味するかわかりません」と記していること。知らぬふりをしたわけだが、慶勝は自分がパロディー化されていることに、意外にも「ご満悦」であったという。
 

慶勝が買い求めた浮世絵の中で、一番多かったジャンルは、「写真御用御写し取り」という名目の、役者絵や美人画、源氏絵でした。これらは、カメラ男子・慶勝が人物のポーズや体の向きなど、構図の参考にしたいと思って購入したものだそう。

そして、慶勝コレクションの中には、春画・艶本もありました。この目的は書く必要もないと思います。殿にも、開けられたくない抽斗があったというわけですね(笑)ほかにも、浮世絵好きだった大名は多数。そもそも前尾張藩主のお墓から、浮世絵版画が大量に出土しているそう。さらに将軍や京の公家、天皇まで愉しんだとか。浮世離れした人々の目にうつる「浮世絵」とはどんなものだったか。
あえてそんな視点で眺めてみるのも、たまには面白いかもしれません。

 <参考文献>
「写真家大名・徳川慶勝の幕末維新 尾張藩主の知られざる決断」(NHKプラネット中部 編)
「尾張藩の幕末・維新―青松葉事件解読」(木原克之著) ほか

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