2013/06/17

【旗本は】小伝馬町牢獄実録記【大盗賊】

明治大学博物館の刑事部門で、
江戸時代の刑罰についての展示を見てきた話を前回書きましたけれど、
その翌日、神保町の古書店で偶然こんな本を見つけました。

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『幕末明治実歴譚』綿谷 雪 編(青蛙房)

ぱらぱらめくってみると「伝馬町牢屋敷」とか「白洲の吟味」とか
まさにタイムリーな言葉が並んでいます。
即購入して読んでみるとこれが実に面白い!

『幕末の武家』などと同じ青蛙房から出ているものなので、
多分知る人はとっくに知ってる、知らない人は全く知らない、
という類の本ではないかしらんと思ったので
感想がてら、紹介してみようと思います。

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●幕末の江戸で暴れまくった旗本の大悪党


この本は、元は『名家談叢』という本から、
編者である綿谷 雪という人が選んだ長編4つが入ったものです。
いずれも当人や関係者から直接聞き取りした逸事奇談ばかり。

綿谷氏は現代劇作家・中野実氏からこの貴重な『名家談叢』ほかを譲り受けたとき、
「我が物と思えば軽しか、大風呂敷を借りて、心うきうき背負って帰った」
と後書きに書いていますが、
まさに私もそんな気分で東京から関西の家までこの本を持って帰りました(笑)


さて、その四つの話の中でもとりわけ異彩を放つ「青木弥太郎懺悔録」。
本人自ら語るのは、彼の幕末から明治にかけての破天荒な思い出話です。
なんとこの青木弥太郎、小禄とは言えれっきとした旗本身分でありながら、
攘夷の為に金を出せと商家を襲う、いわゆる「御用盗」として名を馳せます。

それが悪いのなんのって・・・(笑)

最初のきっかけは、時の老中・板倉周防守に攘夷を迫ったら「金がないから無理!」
と言われたので、新徴組の村上俊五郎、石坂周蔵らと蔵前の札差の所へ行き
金や米を残らず出させ、周防守に「さぁ、どうだっ!」と見せたことだったといいます。
周防守は「いずれ評議をする」と返事したそうですが、さぞかし困ったでしょうね(笑)

その後は、次から次へと商家を襲ったり遊女屋を騙したり賭場に乗り込んだり。
最初から最後まで攘夷のためだったと青木は言うのですが、
もちろん実際はそんなことはなかったでしょう。
例えきっかけはそうであったとしても、
青木の中の悪党心に面白いほど火が付いた、という感じではなかったでしょうか。

店も遊女屋も対策として用心棒を置いたり、海千山千のはずの主人が対応したりするのですが
読んでいて笑ってしまうくらいの屁理屈やはったりでかわされてしまい、
青木はまんまと目的を果たしてゆきます。

その手口は悪党ながらあっぱれ、大胆不敵、というもので
後年脚色はあったにしろ講談になったりして人気を博したというのも頷けます。
妾である「雲霧のお辰」と呼ばれた辰の凄艶な悪女ぶりも、
物語めいた懺悔譚の魅力に花を添えます。


●十八回の拷問にも白状せず

そんなやりたい放題の青木にも年貢の納め時がやってきます。
慶応元年五月、仲間と共に捕らえられた青木は、
伝馬町牢屋敷の揚り屋(身分が高い人物が入れられる牢)へ入れられます。

地獄の沙汰も金次第。
蔓(ツル。囚人が密かに持ち込む現金の隠語)が無ければ
同じ囚人からリンチされたり、人が多いと間引かれる(!!)など、悲惨な目にあう牢屋内。
しかし青木は、身分が旗本ということ、
俗に牢屋奉行と呼ばれた石出帯刀と馬術の相弟子であったことなどから、
待遇は別格であったようです。

この牢屋についての話は実に詳細で、後世の牢獄に関する研究の貴重な史料になったろうと思われます。
彼はここで石抱きといった拷問(正確には牢問いと呼ばれ拷問の内に入らない)を受けます。
そのときの様子を画工に描かせてもいます。

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石抱きとは三角の板を繋げた算盤板の上に座らせられ、一枚五十キロの重さのある石を
何枚も乗せられる責め。足の皮肉は破れ骨で止まり、股はひしゃげて煎餅のように薄くなるという。


青木はこの石抱きのほか笞打ちなどを含め、都合十八回も拷問を受けましたが、
元より体は丈夫で胆力もあり、更に暇だからと牢内で「息術」(※1)の稽古をし始め
かえってますます元気になっていったと言います。
そのため牢内でも、またその噂を聞いた外の庶民たちにも、
青木はまるで英雄のようにもてはやされていきます。
なんだか少年漫画に出てきそうな超人ぶりですよね(笑)

そして決して白状をせず(悪事を働いていたのは明白だったのですが)、
取り調べの奉行達を歯噛みさせているうちに
悪運強いというべきか、明治元年に特赦が出て獄から解放されたのでした。


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不衛生な牢屋で残酷な責めを受けながら、また仲間達が次々と白状したり責め殺されたりする中で、
最後まで白を切り通し、その後長寿を全うしたというこのとんだ旗本男。
許しがたい犯罪者には違いないものの、どこか憎めない痛快な思いがするのは、
現代とはまた違った価値観や常識であった江戸の世の話だからかもしれません。
それとも単純に、まるで現実とは思えないびっくり仰天の話だからかも・・・?

本人自身の話とはいえ、いやそれだけに、必ずしも事実ばかりとは限らないでしょうが、
こうして当時の生の話が残っていてそれを読めるというのは、大変貴重だなと思います。
また長くなるので省きましたが、与力同心、岡っ引きらは褒美を貰うために
罪のないポッと出の田舎者に放火の罪を着せ、無理やり火計に処すこともあった、
というような賄賂弊害話の件もぞっとします。

私は古書店で千円で買いましたが、新書でも売っているようです。→
あるいは図書館などにもあるかも。
ご興味がおありの方は、ぜひ一度読んでみてください。
青木の話の他にも、天狗党の話など面白そうな話ばかりですよ。
(まだ読んでないけど・・・)

※この記事は専門家ではない一趣味人が書いたものですので、
江戸時代の牢屋や刑罰については鵜呑みにされず
正しくは直接、専門書などにあたられますように。

<参考資料>
・『歴史人 江戸の暮らし大全』(KKベストセラーズ)
・『江戸の刑罰 』石井 良助 著 (中公新書)
明治大学博物館HP内、刑事部門



※1)青木曰く、禅学に類したもので、座禅を組んで息をはかり、一日、二日の食を断ち、
昼夜これを稽古すると一週間絶食しても平常通り居られるとか。
うーん、すごい。



~~余談~~

青木弥太郎の妾、通称「雲霧のお辰」については、
同書の解説のページに詳しく出ています。
(彼女も青木と同じ時に自首して牢屋<女囚なので別の女牢部屋>に入っています)
これまた流石青木の情婦と唸ってしまうような女性です。
おそらく解説を書いた綿谷自身が彼女に魅力を感じており、
長々と追記せずにはいられなかったと見えます。

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勝海舟の『氷川清話』の中に「囚徒中の人物」という項がありますが、
これは物好きな海舟が特赦で囚人が解放される際に
囚人たちにインタビューした感想です。
ここに青木のことも出てきますが、どうやら海舟は青木が気に入らなかったようで
「どうせ盗賊するくらいなら国の半分でも盗みやがれ」と言ってます(笑)
ちなみに三十歳あまりの女囚が「安房守様だけにお話しますが、実は気に入らない男を
五人殺しました。その方法は金○を捻って・・・」と告白した話も載っていて
(ちょっと!勝さんに金○の話しちゃうなんて!!(笑)
これが青木の妾「辰」のことだ、という話をネットで見たのですが、
『幕末明治~』の解説を読むと慶応元年に辰は二十二歳で、
特赦のあったのは明治元年だから、その時に三十歳あまりと記されるのは年齢が合わないですし、
青木のことを書いたのなら、その妾として名前を載せてもいいのにな、
と思うのですが・・・。
よくわかりません。

もし詳細をご存知の方がいらっしゃれば、ご教授くださいませm(_ _)m


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2013/06/13

扉の向こうの江戸へ②~明治大学博物館、国立科学博物館ほか~

前回は江戸東京博物館、深川江戸資料館のことを書きましたが、
今回はもう少しマニアックな博物館や展覧会を主に纏めてみます。

明治大学博物館(刑事部門)

商品部門、考古学部門と他にもある展示部門の中で、異色なのがこちらの刑事部門。
主に江戸時代の刑罰について、復元資料などを通し学ぶ事ができます。

ここにもスタッフの方がいらっしゃるのでガイドをお願いしました。
(常駐ではなく曜日によってなので、行かれる際は事前に確認されることをおすすめします)

丁寧に説明していただいたので、この部門だけで一時間以上かかっていた気がします(笑)

まずは高札やら当時の法律、武家諸法度などの展示から。
江戸初期の武家諸法度の内容は

「文武『弓道』をたしなむように」

だったのに、やがて太平の世になるとそれが

「文武『忠孝』に励むように」

と変わっています。
戦国時代なら、部下にガンガンに武芸の腕を磨かせることが大事だったわけですが、
戦のない時代には、主従の縛りはメンタル面へ移った、ということですね。

そして捕物のコーナー。
面白いのは捕縛する縄に、中国の五行思想から来る色が付けられており、
四季によって使う色が決まっていたということ。
玄武=黒(冬)朱雀=赤(夏)青龍=青(春)、白虎(秋)、黄龍=黄(季節の変わり目)

といっても実際には北町奉行所が白、南町奉行所が紺色と、
奉行所によって使い分けていたそうです。
あくまで正式には、五色の色分けがあったということで。

犯人を捕縛する道具も展示されています。
突棒(つくぼう)、刺又(さすまた)、袖搦(そでがらみ)の
三つが捕物三道具と言われていたとか。
基本的に生け捕りにしなければならなかったので
武器は使えません。
犯人の方は武器を持って暴れたりもするわけですから
捕らえる方も命懸け。
なのでなるべく犯人に近寄らなくて済むように、
長い棒状の物で相手の動きを封じる道具が用いられたんでしょう。

捕まった犯人は小伝馬町の牢屋敷へ入れられます。
この牢の中には容疑者が入れられているわけです。
現在の刑務所と違うのは、終身刑がないことだと聞きました。
捕縛された犯人は拷問などで自供させられ、その後沙汰が出れば、
即日に刑が執行されるのです。
(遠島などの刑の場合は、船の出航の関係で
暫く牢に留め置かれることもあったりと例外はあったようですが)
つまり打ち首と決まれば、その日の内に首が斬られると。

さてその拷問ですが・・・。
①笞(むち)打ち
②海老責め
③石抱き
④釣るし責め
というような種類があったようです。
(正確には①~③は「牢問い」、④が拷問と呼ばれていたようです)

「むちうち」と聞くと乗馬鞭のような長い紐状のものを思い浮かべますが
そうではなくてガッシリした棒です。
へえーと思ったのは、笞打ちの際には医師が立ち会っていたということ。
血が流れた後、一応手当はしてくれたようです。
でも簡易なものであったそうですが・・・。
多分出血死してしまわない程度のものだったんでしょうね。

いずれも聞いただけで「いたたたたっ!」
ぶるってしまいます。
ほとんどの囚人が、こんな拷問をされると聞いただけで
白状してしまったことでしょう。
もし無実であっても・・・。

恐ろしいのは拷問だけでなく、処刑の仕方もです。
磔となれば、大の字(女性は足は開かない)に架けられて、
何十回も両脇から槍で刺されまくります。
(明治時代初期の磔刑の写真が展示されていますが、
白黒ながらぞっとしてしまいました・・・)

放火犯ならば火あぶり。生きながら焼かれます。

恐ろしや・・・

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(左)放火犯が処せられる火炙りの台 
(右上)三角形の板を並べた算盤板の上に座らせられ、
一枚50キロもある石を膝に乗せられていく「石抱き」の牢問い。
なかなか白状しない時は揺すられたりもしたそう。
(右下)西洋の拷問具、ギロチンも何点かありました。
これは有名な「鉄の処女」。博物館のグッズコーナーではキャラクター化してました(笑)


他には大岡越前、長谷川平蔵の署名のある
判例集も展示されていましたよ。
テレビの時代劇がぐっとリアルになります。


国立科学博物館「江戸人展」
※展覧会「江戸人展」は2013年6月16日までで終了。

上野の科学博物館。
ここが江戸時代の人骨をたくさん保管している、というのは
テレビで見て知っていたのですが、
それが今回展示されると聞いて、どうしても見ておきたいと
思ったのが今回の旅行のきっかけでもありました。

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入ってすぐの場所に、このようにずらりと頭蓋骨が並んでいます。


東京の地下にはたくさん人骨が埋まっていて
どこを掘っても大抵出てくるんだそうです。
これは主に、お寺があちこち移動したためと言われています。
移動の度にお墓を掘り起こして骨も移動させるわけですが
取りこぼしも多かったためだとか。

骨はたくさんの事を教えてくれます。
以前徳川家のお墓が発掘された時も、その遺骨から
生活習慣や養生法、死因など詳しい情報が分かりました。
(「徳川家将軍十五代のカルテ」、「骨は語る 徳川将軍・大名家の人々」)

基本的に将軍や大名などは、現代的な細い顔をしていたようです。
食事が柔らかいものなので顎を使う必要がないからでしょうね。
それに比べて庶民はえらの張った四角い顔が多かったようです。

また江戸時代の人々は全体的に、日本の歴史上最も体が小さかったとのこと。
今回の展示でも

「男たちは一般に背が低い。下層の労働者階級はがっしりと逞しい体格を
しているが、力仕事をして筋肉を発達させることのない上層階級の男はやせている」


「(日本女性は)背は低いが体格はよく、首から肩、胸にかけての部分は
彫刻家のモデルになれるほどだ。また手足の形が良く、びっくりするほど小さい」


というエドゥアルド・スエンソンの『江戸幕末滞在記』からの文章を引いて
駕籠かきと思われる男性の骨や、帯できつく締めていたため胸のあたりの骨が変形した
女性の骨などが展示されていました。

労咳や梅毒といった病気で亡くなった人の骨もあれば、
死後試し切りをされたと思われる、背骨がいくつも寸断された骨もありました。
(罪人は処刑後に、刀の試し切りに用いられることがあったようです)

労咳と言えば沖田総司や高杉晋作が浮かびます。
結核菌は骨にまで感染することがあるそうで、部分的に溶けてしまうんだそうです。
どれだけ苦しく痛かったことか・・・。

また芹沢鴨が梅毒にかかっていたという話もあります。
浪士組から外れ京に残ったのは、病気が悪くなっていたからだと。
梅毒にかかると最終的に脳や脊髄がおかされて亡くなってしまうそうですから、
もしそうだとすれば、芹沢は自暴自棄になっていたのかもしれません。
これは単なる私の想像ですけどね。

ほかには「日本人の女性はわざと化物のように醜く化粧をする」
と外国人からは酷評された白塗りの実際の効果や、
様々な種類の髪型、化粧道具の展示などがありました。

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左が明るい中で見る白粉を塗った女性ですが、右のように明かりを消すと・・・
日本人形のように美しい肌が浮かび上がります!どうだまいったか!(誰に?)


あとは、鉄漿(おはぐろ)の匂い!
当時のレシピ通りに再現されたものを嗅げるのですが、
あまりの異臭に修学旅行生達が悲鳴をあげていました(笑)
ネットの感想を見ても「何日も洗っていない足の裏の匂い」とか・・・。

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(左上)白粉を水に溶かし、濃さを調整した「白粉三段重」や、白粉の包み紙など。とても綺麗でカワイイ。
(右上)鉄漿(おはぐろ)道具一式。
(左下)横兵庫と呼ばれる髷。吉原の遊女が好んだそうです。
(右下)眉を書くときの位置などを詳しく説明している、お化粧マニュアル本と刷毛など。
眉のテンプレートを思い出しましたよ(笑)



そして予想外に驚いたのが「自分でミイラになってしまったお爺さん」。
名前は分からないそうなのですが、本草学の学者だったらしいです。
死後ミイラになるから「後世に機会があれば掘り出してみよ」
と家族に宣言して死んだそう。
そして後に掘り起こしてみると、ちゃんとミイラになっていたと。
実物は展示されていなかったのですが、
この方の体をCTスキャン?した映像が流れていました。
どうしてミイラになれたか・・・その方法は不明らしいのですが
体内に食べた柿の種や実がたくさん残っていたので、
それが影響しているのか、と現代では考えられているようです。



さて、次回は史跡巡りの話を・・・と思っていたのですが、
ちょうど明治大学博物館で江戸時代の刑罰について見た後、
神保町の古書店でそれにまつわる面白い本を見つけたのです。
こういう偶然の発見は興奮ものですよね~。
ようやく読み終わったので、それについて書いてみたいと思います

無駄に長く更新もゆっくりペースですが、よろしければまたお付き合いください
2013/06/11

扉の向こうの江戸へ① ~江戸東京博物館、深川江戸資料館~

地方の江戸好きにとって、
「江戸」は書籍やテレビの番組の中だけで
実際の土地の空気やネイティブな感覚に、
触れることができないのが辛いところ。

数日の滞在で何が分かるんでいっと
江戸っ子に言われるかも知れませんが
東京ではなく「お江戸」へ行ったつもりで三泊四日の一人旅を楽しんできました。

江戸にまつわる博物館や史跡、そして神保町の古書街を巡ったりなど・・・。
何はともあれ備忘録ついでにブログに纏めてみることに。
まずは博物館などの箱ものを二回にわたってゆっくり書いてゆきます。


江戸東京博物館


ここは以前から行ってみたかった場所の一つ

わくわくしながらも前の時間が押してしまい、閉館より一時間半くらい前に入ることになりました。
本当は二時間くらいかけたかったけど、仕方ない。なんとかなるだろう、なんて思ったのですが、
これが大失敗!

まず受付で「常設展と展覧会、どちらにされますか?」と聞かれたので
「両方を!」と元気よく答えたのですが、受付のお姉さんが困った顔になって
「・・・今からのお時間ですと、どちらか一つかでも厳しいかと」
なんてことを仰る。

えーー!そんなぁぁぁっ!!

慌ててみても仕方ない。
展覧会の「ファインバーグ・コレクション展 -江戸絵画の奇跡-」も見たかったのですが
まずは常設展を見ることにしました。

しかし入ってみるととんでもなく広い。
建物の5階、6階の全てが江戸ゾーンと東京ゾーンになっていて、
まずはエレベーターで6階にあがり、その後5階へ下りるかたち。

エレベーターを出るとそこには江戸へと続く日本橋が。
病院の階段から転げ落ちなくても(ドラマ「仁」より)、
ちゃんとここに江戸への入口がありました

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復元された日本橋。
江戸市中で擬宝珠が飾られた橋は、日本橋と京橋、新橋だけだったそう。  



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(左上)歌舞伎座を復元した建物。 (右上)阿蘭陀船図説。なかなかカラフルです。
(左下)身分の高い人が乗った御駕籠(詳細失念) 
(右下)寛永の町人地のジオラマ。精巧です。


大名屋敷や町人地のジオラマから、大名の出世双六(双六好きだなあ、江戸の人)などなど
夢中で見ていたら6階だけで時間が過ぎてしまいました

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大名屋敷のジオラマ。闇に浮かび上がる門。いかめしい!

駕籠に乗れたり、肥溜め担いだり(すごい重い。でもなぜこれが・・・)体験もできます。
もちろん駕籠は置いてあるのに乗るだけ。
一度担いでもらいたいもんですね。

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色ごとに版を変え少しずつ出来上がってゆく浮世絵の工程。
イラストレーションソフトのレイヤーみたい。


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こちらが浮世絵ショップ、絵草紙屋。
本屋というより堅苦しくない、今でいうと雑誌とかブロマイド、ポスター
を売ってるような感じがしますね。



後半は駆け足。
江戸から一気に近代化してゆく様に改めて驚きます。
着るもの食べるもの、髪型から言葉も外来語混じりに変化。
コンピュータや通信技術が目まぐるしく進歩する今よりも
もっとすごい根底からの変わりようですよね。

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残念ながら時間切れ。
次回は二時間どころではなく、半日くらい覚悟して
行くことにします。



深川江戸資料館


圧倒されるほど広かった江戸東京博物館に比べ、
こちらはこぢんまりとしていて、
展示物も復元された船宿や下町の長屋などがメイン。
しかしここにはガイドさんが常時おられるようで、
お願いすると細かく説明してもらえます。
これがすごく良かった!

長屋の一つひとつの部屋にもテーマがあって、
ここはあさりのむき身を売るぼて振り(天秤棒で担いで売り歩く商人)
の独身男性の部屋だから竈も小さく、貧しいから畳がしいてないとか、
ここは三味線を教えながら暮らしてる女性の部屋だから、
置いてある風呂敷や壁の飾りもどこか垢抜けて華やかだとか。
細かな設定が分かれば分かるほど楽しくて、色々な部分に目が行きます。


(左上)入ってすぐ飛び込んでくる風景。
長屋の屋根は瓦だと重すぎるので木だったようです。
(右上)最初は手拭いでも干してあるのかと思ったのですがさにあらず。端切れを売ってるんだそう。
担いで売りに来るのを長屋のおかみさん達が買って、当て布に使っていたとのこと。
(下)猪牙船。



(左)長屋の中。復元された建物の中は、どこも靴を脱いで上がれます。
(右上)この杵みたいなマークは三味線教室の目印だそう。障子に住んでいる人の名前が貼られています。
(右下)家族がいる家は、子供のために疱瘡除けのお守りが戸口に掛けられていたり。




↑お金持ちの蔵には下に泥が置かれています。
火事となったらこれで蔵の隙間を塞いで密封状態にして、
中の米や財産を守るのだそうですよ。


船宿の復元。

他にも、船宿とは宿泊施設というより
舟遊びをする人が芸者さんと待ち合わせするところだったなど、
たくさんのお話を聞くことが出来ました


これは天ぷら屋。天ぷらは串に刺して売られていた。

それにしても長屋にある竈やその周りのキッチンスペースの小さいこと!
しかも煮炊きするときの煙を逃がすように上に穴はあれど、
密集する長屋の中でどれだけ効果があったか。
実際に見てみると、当時の長屋の人々が家で手料理するより
ぼて振りからお惣菜をよく買っていたというのが納得できます。
また江戸は男の数の方が多く、
独身者や地方から単身赴任してるお父さんも多かったから尚更ですね。

展示物の数は江戸東京博物館のほうがそれはそれは多かったのですが、
ガイドさんが詳しく説明してくれたことで、
印象深かったのは深川江戸資料館の方でした。
こちらは着物を着ていくと景色に溶け込んで、
本当に江戸の住人になれそうですよ


次回は明治大学博物館、国立科学博物館「江戸人展」などについて書く予定です。


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