【旗本は】小伝馬町牢獄実録記【大盗賊】
明治大学博物館の刑事部門で、
江戸時代の刑罰についての展示を見てきた話を前回書きましたけれど、
その翌日、神保町の古書店で偶然こんな本を見つけました。

『幕末明治実歴譚』綿谷 雪 編(青蛙房)
ぱらぱらめくってみると「伝馬町牢屋敷」とか「白洲の吟味」とか
まさにタイムリーな言葉が並んでいます。
即購入して読んでみるとこれが実に面白い!
『幕末の武家』などと同じ青蛙房から出ているものなので、
多分知る人はとっくに知ってる、知らない人は全く知らない、
という類の本ではないかしらんと思ったので
感想がてら、紹介してみようと思います。
---------------------------------------------------
●幕末の江戸で暴れまくった旗本の大悪党
この本は、元は『名家談叢』という本から、
編者である綿谷 雪という人が選んだ長編4つが入ったものです。
いずれも当人や関係者から直接聞き取りした逸事奇談ばかり。
綿谷氏は現代劇作家・中野実氏からこの貴重な『名家談叢』ほかを譲り受けたとき、
「我が物と思えば軽しか、大風呂敷を借りて、心うきうき背負って帰った」
と後書きに書いていますが、
まさに私もそんな気分で東京から関西の家までこの本を持って帰りました(笑)
さて、その四つの話の中でもとりわけ異彩を放つ「青木弥太郎懺悔録」。
本人自ら語るのは、彼の幕末から明治にかけての破天荒な思い出話です。
なんとこの青木弥太郎、小禄とは言えれっきとした旗本身分でありながら、
攘夷の為に金を出せと商家を襲う、いわゆる「御用盗」として名を馳せます。
それが悪いのなんのって・・・(笑)
最初のきっかけは、時の老中・板倉周防守に攘夷を迫ったら「金がないから無理!」
と言われたので、新徴組の村上俊五郎、石坂周蔵らと蔵前の札差の所へ行き
金や米を残らず出させ、周防守に「さぁ、どうだっ!」と見せたことだったといいます。
周防守は「いずれ評議をする」と返事したそうですが、さぞかし困ったでしょうね(笑)
その後は、次から次へと商家を襲ったり遊女屋を騙したり賭場に乗り込んだり。
最初から最後まで攘夷のためだったと青木は言うのですが、
もちろん実際はそんなことはなかったでしょう。
例えきっかけはそうであったとしても、
青木の中の悪党心に面白いほど火が付いた、という感じではなかったでしょうか。
店も遊女屋も対策として用心棒を置いたり、海千山千のはずの主人が対応したりするのですが
読んでいて笑ってしまうくらいの屁理屈やはったりでかわされてしまい、
青木はまんまと目的を果たしてゆきます。
その手口は悪党ながらあっぱれ、大胆不敵、というもので
後年脚色はあったにしろ講談になったりして人気を博したというのも頷けます。
妾である「雲霧のお辰」と呼ばれた辰の凄艶な悪女ぶりも、
物語めいた懺悔譚の魅力に花を添えます。
●十八回の拷問にも白状せず
そんなやりたい放題の青木にも年貢の納め時がやってきます。
慶応元年五月、仲間と共に捕らえられた青木は、
伝馬町牢屋敷の揚り屋(身分が高い人物が入れられる牢)へ入れられます。
地獄の沙汰も金次第。
蔓(ツル。囚人が密かに持ち込む現金の隠語)が無ければ
同じ囚人からリンチされたり、人が多いと間引かれる(!!)など、悲惨な目にあう牢屋内。
しかし青木は、身分が旗本ということ、
俗に牢屋奉行と呼ばれた石出帯刀と馬術の相弟子であったことなどから、
待遇は別格であったようです。
この牢屋についての話は実に詳細で、後世の牢獄に関する研究の貴重な史料になったろうと思われます。
彼はここで石抱きといった拷問(正確には牢問いと呼ばれ拷問の内に入らない)を受けます。
そのときの様子を画工に描かせてもいます。

石抱きとは三角の板を繋げた算盤板の上に座らせられ、一枚五十キロの重さのある石を
何枚も乗せられる責め。足の皮肉は破れ骨で止まり、股はひしゃげて煎餅のように薄くなるという。
青木はこの石抱きのほか笞打ちなどを含め、都合十八回も拷問を受けましたが、
元より体は丈夫で胆力もあり、更に暇だからと牢内で「息術」(※1)の稽古をし始め
かえってますます元気になっていったと言います。
そのため牢内でも、またその噂を聞いた外の庶民たちにも、
青木はまるで英雄のようにもてはやされていきます。
なんだか少年漫画に出てきそうな超人ぶりですよね(笑)
そして決して白状をせず(悪事を働いていたのは明白だったのですが)、
取り調べの奉行達を歯噛みさせているうちに
悪運強いというべきか、明治元年に特赦が出て獄から解放されたのでした。
-------------------------------------------------------------
不衛生な牢屋で残酷な責めを受けながら、また仲間達が次々と白状したり責め殺されたりする中で、
最後まで白を切り通し、その後長寿を全うしたというこのとんだ旗本男。
許しがたい犯罪者には違いないものの、どこか憎めない痛快な思いがするのは、
現代とはまた違った価値観や常識であった江戸の世の話だからかもしれません。
それとも単純に、まるで現実とは思えないびっくり仰天の話だからかも・・・?
本人自身の話とはいえ、いやそれだけに、必ずしも事実ばかりとは限らないでしょうが、
こうして当時の生の話が残っていてそれを読めるというのは、大変貴重だなと思います。
また長くなるので省きましたが、与力同心、岡っ引きらは褒美を貰うために
罪のないポッと出の田舎者に放火の罪を着せ、無理やり火計に処すこともあった、
というような賄賂弊害話の件もぞっとします。
私は古書店で千円で買いましたが、新書でも売っているようです。→★
あるいは図書館などにもあるかも。
ご興味がおありの方は、ぜひ一度読んでみてください。
青木の話の他にも、天狗党の話など面白そうな話ばかりですよ。
(まだ読んでないけど・・・)
※この記事は専門家ではない一趣味人が書いたものですので、
江戸時代の牢屋や刑罰については鵜呑みにされず
正しくは直接、専門書などにあたられますように。
<参考資料>
・『歴史人 江戸の暮らし大全』(KKベストセラーズ)
・『江戸の刑罰 』石井 良助 著 (中公新書)
・明治大学博物館HP内、刑事部門
※1)青木曰く、禅学に類したもので、座禅を組んで息をはかり、一日、二日の食を断ち、
昼夜これを稽古すると一週間絶食しても平常通り居られるとか。
うーん、すごい。
~~余談~~
青木弥太郎の妾、通称「雲霧のお辰」については、
同書の解説のページに詳しく出ています。
(彼女も青木と同じ時に自首して牢屋<女囚なので別の女牢部屋>に入っています)
これまた流石青木の情婦と唸ってしまうような女性です。
おそらく解説を書いた綿谷自身が彼女に魅力を感じており、
長々と追記せずにはいられなかったと見えます。

勝海舟の『氷川清話』の中に「囚徒中の人物」という項がありますが、
これは物好きな海舟が特赦で囚人が解放される際に
囚人たちにインタビューした感想です。
ここに青木のことも出てきますが、どうやら海舟は青木が気に入らなかったようで
「どうせ盗賊するくらいなら国の半分でも盗みやがれ」と言ってます(笑)
ちなみに三十歳あまりの女囚が「安房守様だけにお話しますが、実は気に入らない男を
五人殺しました。その方法は金○を捻って・・・」と告白した話も載っていて
(ちょっと!勝さんに金○の話しちゃうなんて!!(笑)
これが青木の妾「辰」のことだ、という話をネットで見たのですが、
『幕末明治~』の解説を読むと慶応元年に辰は二十二歳で、
特赦のあったのは明治元年だから、その時に三十歳あまりと記されるのは年齢が合わないですし、
青木のことを書いたのなら、その妾として名前を載せてもいいのにな、
と思うのですが・・・。
よくわかりません。
もし詳細をご存知の方がいらっしゃれば、ご教授くださいませm(_ _)m
江戸時代の刑罰についての展示を見てきた話を前回書きましたけれど、
その翌日、神保町の古書店で偶然こんな本を見つけました。

『幕末明治実歴譚』綿谷 雪 編(青蛙房)
ぱらぱらめくってみると「伝馬町牢屋敷」とか「白洲の吟味」とか
まさにタイムリーな言葉が並んでいます。
即購入して読んでみるとこれが実に面白い!
『幕末の武家』などと同じ青蛙房から出ているものなので、
多分知る人はとっくに知ってる、知らない人は全く知らない、
という類の本ではないかしらんと思ったので
感想がてら、紹介してみようと思います。
---------------------------------------------------
●幕末の江戸で暴れまくった旗本の大悪党
この本は、元は『名家談叢』という本から、
編者である綿谷 雪という人が選んだ長編4つが入ったものです。
いずれも当人や関係者から直接聞き取りした逸事奇談ばかり。
綿谷氏は現代劇作家・中野実氏からこの貴重な『名家談叢』ほかを譲り受けたとき、
「我が物と思えば軽しか、大風呂敷を借りて、心うきうき背負って帰った」
と後書きに書いていますが、
まさに私もそんな気分で東京から関西の家までこの本を持って帰りました(笑)
さて、その四つの話の中でもとりわけ異彩を放つ「青木弥太郎懺悔録」。
本人自ら語るのは、彼の幕末から明治にかけての破天荒な思い出話です。
なんとこの青木弥太郎、小禄とは言えれっきとした旗本身分でありながら、
攘夷の為に金を出せと商家を襲う、いわゆる「御用盗」として名を馳せます。
それが悪いのなんのって・・・(笑)
最初のきっかけは、時の老中・板倉周防守に攘夷を迫ったら「金がないから無理!」
と言われたので、新徴組の村上俊五郎、石坂周蔵らと蔵前の札差の所へ行き
金や米を残らず出させ、周防守に「さぁ、どうだっ!」と見せたことだったといいます。
周防守は「いずれ評議をする」と返事したそうですが、さぞかし困ったでしょうね(笑)
その後は、次から次へと商家を襲ったり遊女屋を騙したり賭場に乗り込んだり。
最初から最後まで攘夷のためだったと青木は言うのですが、
もちろん実際はそんなことはなかったでしょう。
例えきっかけはそうであったとしても、
青木の中の悪党心に面白いほど火が付いた、という感じではなかったでしょうか。
店も遊女屋も対策として用心棒を置いたり、海千山千のはずの主人が対応したりするのですが
読んでいて笑ってしまうくらいの屁理屈やはったりでかわされてしまい、
青木はまんまと目的を果たしてゆきます。
その手口は悪党ながらあっぱれ、大胆不敵、というもので
後年脚色はあったにしろ講談になったりして人気を博したというのも頷けます。
妾である「雲霧のお辰」と呼ばれた辰の凄艶な悪女ぶりも、
物語めいた懺悔譚の魅力に花を添えます。
●十八回の拷問にも白状せず
そんなやりたい放題の青木にも年貢の納め時がやってきます。
慶応元年五月、仲間と共に捕らえられた青木は、
伝馬町牢屋敷の揚り屋(身分が高い人物が入れられる牢)へ入れられます。
地獄の沙汰も金次第。
蔓(ツル。囚人が密かに持ち込む現金の隠語)が無ければ
同じ囚人からリンチされたり、人が多いと間引かれる(!!)など、悲惨な目にあう牢屋内。
しかし青木は、身分が旗本ということ、
俗に牢屋奉行と呼ばれた石出帯刀と馬術の相弟子であったことなどから、
待遇は別格であったようです。
この牢屋についての話は実に詳細で、後世の牢獄に関する研究の貴重な史料になったろうと思われます。
彼はここで石抱きといった拷問(正確には牢問いと呼ばれ拷問の内に入らない)を受けます。
そのときの様子を画工に描かせてもいます。

石抱きとは三角の板を繋げた算盤板の上に座らせられ、一枚五十キロの重さのある石を
何枚も乗せられる責め。足の皮肉は破れ骨で止まり、股はひしゃげて煎餅のように薄くなるという。
青木はこの石抱きのほか笞打ちなどを含め、都合十八回も拷問を受けましたが、
元より体は丈夫で胆力もあり、更に暇だからと牢内で「息術」(※1)の稽古をし始め
かえってますます元気になっていったと言います。
そのため牢内でも、またその噂を聞いた外の庶民たちにも、
青木はまるで英雄のようにもてはやされていきます。
なんだか少年漫画に出てきそうな超人ぶりですよね(笑)
そして決して白状をせず(悪事を働いていたのは明白だったのですが)、
取り調べの奉行達を歯噛みさせているうちに
悪運強いというべきか、明治元年に特赦が出て獄から解放されたのでした。
-------------------------------------------------------------
不衛生な牢屋で残酷な責めを受けながら、また仲間達が次々と白状したり責め殺されたりする中で、
最後まで白を切り通し、その後長寿を全うしたというこのとんだ旗本男。
許しがたい犯罪者には違いないものの、どこか憎めない痛快な思いがするのは、
現代とはまた違った価値観や常識であった江戸の世の話だからかもしれません。
それとも単純に、まるで現実とは思えないびっくり仰天の話だからかも・・・?
本人自身の話とはいえ、いやそれだけに、必ずしも事実ばかりとは限らないでしょうが、
こうして当時の生の話が残っていてそれを読めるというのは、大変貴重だなと思います。
また長くなるので省きましたが、与力同心、岡っ引きらは褒美を貰うために
罪のないポッと出の田舎者に放火の罪を着せ、無理やり火計に処すこともあった、
というような賄賂弊害話の件もぞっとします。
私は古書店で千円で買いましたが、新書でも売っているようです。→★
あるいは図書館などにもあるかも。
ご興味がおありの方は、ぜひ一度読んでみてください。
青木の話の他にも、天狗党の話など面白そうな話ばかりですよ。
(まだ読んでないけど・・・)
※この記事は専門家ではない一趣味人が書いたものですので、
江戸時代の牢屋や刑罰については鵜呑みにされず
正しくは直接、専門書などにあたられますように。
<参考資料>
・『歴史人 江戸の暮らし大全』(KKベストセラーズ)
・『江戸の刑罰 』石井 良助 著 (中公新書)
・明治大学博物館HP内、刑事部門
※1)青木曰く、禅学に類したもので、座禅を組んで息をはかり、一日、二日の食を断ち、
昼夜これを稽古すると一週間絶食しても平常通り居られるとか。
うーん、すごい。
~~余談~~
青木弥太郎の妾、通称「雲霧のお辰」については、
同書の解説のページに詳しく出ています。
(彼女も青木と同じ時に自首して牢屋<女囚なので別の女牢部屋>に入っています)
これまた流石青木の情婦と唸ってしまうような女性です。
おそらく解説を書いた綿谷自身が彼女に魅力を感じており、
長々と追記せずにはいられなかったと見えます。

勝海舟の『氷川清話』の中に「囚徒中の人物」という項がありますが、
これは物好きな海舟が特赦で囚人が解放される際に
囚人たちにインタビューした感想です。
ここに青木のことも出てきますが、どうやら海舟は青木が気に入らなかったようで
「どうせ盗賊するくらいなら国の半分でも盗みやがれ」と言ってます(笑)
ちなみに三十歳あまりの女囚が「安房守様だけにお話しますが、実は気に入らない男を
五人殺しました。その方法は金○を捻って・・・」と告白した話も載っていて
(ちょっと!勝さんに金○の話しちゃうなんて!!(笑)
これが青木の妾「辰」のことだ、という話をネットで見たのですが、
『幕末明治~』の解説を読むと慶応元年に辰は二十二歳で、
特赦のあったのは明治元年だから、その時に三十歳あまりと記されるのは年齢が合わないですし、
青木のことを書いたのなら、その妾として名前を載せてもいいのにな、
と思うのですが・・・。
よくわかりません。
もし詳細をご存知の方がいらっしゃれば、ご教授くださいませm(_ _)m
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