【輪違屋編②】日本最古の廓、京・島原へ
日本で一番古い廓(くるわ)、京・島原。
その中に一軒だけ現役のお茶屋として営業している「輪違屋」さんがあります。
容姿はもちろん、芸事、教養に秀でた極上の太夫たちを抱えて、
今もなお三百年ほど続く伝統を守っておられます。

前回お話したのは1階(→★)。今度は2階へ上がります。

2階へ上がる階段。
のれんや照明にも「輪違屋」のロゴマークが入っていてかわいいです。


ほかにもポストにすりガラスに、あちこちに見つけられますよ。
この階段がある場所の左手が入口になっていて、
階段の手前の小さな空間はダンスホールとしても活用されたようです。
広さはそうないので、2、3組が限界では…と思いますが。

この階段を上って2階へあがります。昔の階段はどこもそうですが、けっこう急です。
太夫さんたちはあんな重い衣装でよく上ったなーと思いつつ。
で、2階なのですが、写真NGとのこと。
1階はOKなんですけどね…。残念っ!!
まずは階段あがって左手に、有名な「傘の間」があります。
チラシに写真が大きく出ていますので、そのチラシを掲載しておきましょう。

この印象的な「傘の間」は、お茶屋になる前は当代の主人の部屋だったそう。
本物の道中傘を襖に張り付けたこのお部屋。
ずいぶん斬新なデザインだと思いませんか?
傘の骨部分が立体的になっていて微妙な陰影がついています。
右の傘に「髙」という文字があるのは、こちらのご主人のお名前「髙橋」さんから。
「輪違屋」では代々「髙橋善助」を名乗っていたそうです(現在は途切れているそう)。
夜の燭台の灯りの下では、さぞや幻想的に浮き上がるのでしょうね。
こちらの床の間には、なんと桂小五郎の掛け軸が掛けてありました。
1階には新選組局長・近藤勇の屏風、2階には長州藩・桂小五郎の掛け軸。
宿敵が今も同じお茶屋の上下に、お互い素知らぬ顔でいるかのようで面白いですね。
桂小五郎の文字は、かなり大胆に、墨をほとんど付け足さずに一息に書いたという感じ。
かすれまくっています。
きっと酔った勢いで、一気呵成に書きあげたんじゃないかなー?と勝手に想像してみました。
「春水二三尺 清らかに澄み 渓せいを流れる
夕日なく辺(へん)せんに 人ありて 釣りをする 松菊」
実物は漢詩ですが、ガイドさんから聞いた書き下し文をざっとメモしておいたものです。
微妙に漢字など自信ありませんが…。だいたいの意味、情景は伝わりますでしょうか。
松菊というのは、桂小五郎のペンネームですね。
そして階段を上った右手奥には「紅葉の間」。
本物の葉で型をつけてから、彩色された紅葉が壁に散っています。
紅い葉だけでなく青い葉もあり、一年中楽しめる工夫がなされています。
こちらも夜の灯りがともれば、うつくしく照り映えるのでしょう。
その向かいには太夫さんが使っていたという部屋。
実際に使用されていた長櫃(ながびつ)や、豪華絢爛な打掛けが飾られていました。
打掛けを見ると、ずいぶん小柄な太夫さん。
刺繍がもりもりっとあるので、とても重そう。
夏場は涼しげな柄にするそうですが、生地は変わらないので大変暑いそうですよ。
そろそろ太夫さんにもクールビズを!と思ったり思わなかったり。
(そうそう、現在は、太夫さんたちはこちらに居住されてはいません。
近辺のマンションなどにお住まいで、通いで来られているそうです)
で、面白いのは1階からの階段の上に、ミラーボールが!
キラキラ輝いて階段から降りてくる太夫さんを照らす…
というタカラヅカ方式ではなくって!
鉛色のガラス玉に人影が映るようになっているんですね。
これでお客さんや太夫さんが、都合の悪い相手とばったり鉢合わせしないようにしているわけです。
お茶屋らしい気の配り方ですね~。
このガラス玉、400年も前に作られたものだと伝えられているそうですよ。
さて、2階のレポートは以上ですが…。
今回少し心配だったのが建物が老朽化していて、2階へ大勢の人は一度に上がれなかったり、
立ち入り禁止のその先がかなり古びて見えたこと。
有形文化財に指定されているので、改築することもできず、維持も大変なようです。
文化財として貴重な建物を後世に伝えていく、
そのことは大切なことだし、こうして私もその恩恵にあずかれたわけですが、
そのためにせっかくの現役の「サロン」としての役割が果たせなくなる日が来るかもしれないと思うと
大仰な指定も痛しかゆし、難しいところですね。
それにしても貴重な経験でした。
叶わぬ夢とは知りながら、いつかお客さんとして来たいな…。
と願わずにいられません。
過去からのタイムカプセルを覗くような気分を、存分に満喫させていただきました♪

★この記事を書くにあたっては、
実際に私がガイドさんから聞いたお話や見て感じたことをもとにしつつ、
こちらの書籍も参考にさせていただきました。
◎『京の花街「輪違屋」物語』 髙橋利樹 著/PHP新書
現在の「輪違屋」のご当主が書かれた本です。
巻頭には今回残念ながら撮影できなかった2階のお部屋の写真もあります。
また「輪違屋」や太夫さんについて、吉原との違いや禿(かむろ)たちの可愛らしいエピソードなど
とても興味深いお話がたくさん。
もっと知りたいという方は、こちらをどうぞ♪
⇒次回は幕末、あの人の最後の晩餐の場所となった「角屋」について!
その中に一軒だけ現役のお茶屋として営業している「輪違屋」さんがあります。
容姿はもちろん、芸事、教養に秀でた極上の太夫たちを抱えて、
今もなお三百年ほど続く伝統を守っておられます。

前回お話したのは1階(→★)。今度は2階へ上がります。

2階へ上がる階段。
のれんや照明にも「輪違屋」のロゴマークが入っていてかわいいです。


ほかにもポストにすりガラスに、あちこちに見つけられますよ。
この階段がある場所の左手が入口になっていて、
階段の手前の小さな空間はダンスホールとしても活用されたようです。
広さはそうないので、2、3組が限界では…と思いますが。

この階段を上って2階へあがります。昔の階段はどこもそうですが、けっこう急です。
太夫さんたちはあんな重い衣装でよく上ったなーと思いつつ。
で、2階なのですが、写真NGとのこと。
1階はOKなんですけどね…。残念っ!!
まずは階段あがって左手に、有名な「傘の間」があります。
チラシに写真が大きく出ていますので、そのチラシを掲載しておきましょう。

この印象的な「傘の間」は、お茶屋になる前は当代の主人の部屋だったそう。
本物の道中傘を襖に張り付けたこのお部屋。
ずいぶん斬新なデザインだと思いませんか?
傘の骨部分が立体的になっていて微妙な陰影がついています。
右の傘に「髙」という文字があるのは、こちらのご主人のお名前「髙橋」さんから。
「輪違屋」では代々「髙橋善助」を名乗っていたそうです(現在は途切れているそう)。
夜の燭台の灯りの下では、さぞや幻想的に浮き上がるのでしょうね。
こちらの床の間には、なんと桂小五郎の掛け軸が掛けてありました。
1階には新選組局長・近藤勇の屏風、2階には長州藩・桂小五郎の掛け軸。
宿敵が今も同じお茶屋の上下に、お互い素知らぬ顔でいるかのようで面白いですね。
桂小五郎の文字は、かなり大胆に、墨をほとんど付け足さずに一息に書いたという感じ。
かすれまくっています。
きっと酔った勢いで、一気呵成に書きあげたんじゃないかなー?と勝手に想像してみました。
「春水二三尺 清らかに澄み 渓せいを流れる
夕日なく辺(へん)せんに 人ありて 釣りをする 松菊」
実物は漢詩ですが、ガイドさんから聞いた書き下し文をざっとメモしておいたものです。
微妙に漢字など自信ありませんが…。だいたいの意味、情景は伝わりますでしょうか。
松菊というのは、桂小五郎のペンネームですね。
そして階段を上った右手奥には「紅葉の間」。
本物の葉で型をつけてから、彩色された紅葉が壁に散っています。
紅い葉だけでなく青い葉もあり、一年中楽しめる工夫がなされています。
こちらも夜の灯りがともれば、うつくしく照り映えるのでしょう。
その向かいには太夫さんが使っていたという部屋。
実際に使用されていた長櫃(ながびつ)や、豪華絢爛な打掛けが飾られていました。
打掛けを見ると、ずいぶん小柄な太夫さん。
刺繍がもりもりっとあるので、とても重そう。
夏場は涼しげな柄にするそうですが、生地は変わらないので大変暑いそうですよ。
そろそろ太夫さんにもクールビズを!と思ったり思わなかったり。
(そうそう、現在は、太夫さんたちはこちらに居住されてはいません。
近辺のマンションなどにお住まいで、通いで来られているそうです)
で、面白いのは1階からの階段の上に、ミラーボールが!
キラキラ輝いて階段から降りてくる太夫さんを照らす…
というタカラヅカ方式ではなくって!
鉛色のガラス玉に人影が映るようになっているんですね。
これでお客さんや太夫さんが、都合の悪い相手とばったり鉢合わせしないようにしているわけです。
お茶屋らしい気の配り方ですね~。
このガラス玉、400年も前に作られたものだと伝えられているそうですよ。
さて、2階のレポートは以上ですが…。
今回少し心配だったのが建物が老朽化していて、2階へ大勢の人は一度に上がれなかったり、
立ち入り禁止のその先がかなり古びて見えたこと。
有形文化財に指定されているので、改築することもできず、維持も大変なようです。
文化財として貴重な建物を後世に伝えていく、
そのことは大切なことだし、こうして私もその恩恵にあずかれたわけですが、
そのためにせっかくの現役の「サロン」としての役割が果たせなくなる日が来るかもしれないと思うと
大仰な指定も痛しかゆし、難しいところですね。
それにしても貴重な経験でした。
叶わぬ夢とは知りながら、いつかお客さんとして来たいな…。
と願わずにいられません。
過去からのタイムカプセルを覗くような気分を、存分に満喫させていただきました♪

★この記事を書くにあたっては、
実際に私がガイドさんから聞いたお話や見て感じたことをもとにしつつ、
こちらの書籍も参考にさせていただきました。
◎『京の花街「輪違屋」物語』 髙橋利樹 著/PHP新書
現在の「輪違屋」のご当主が書かれた本です。
巻頭には今回残念ながら撮影できなかった2階のお部屋の写真もあります。
また「輪違屋」や太夫さんについて、吉原との違いや禿(かむろ)たちの可愛らしいエピソードなど
とても興味深いお話がたくさん。
もっと知りたいという方は、こちらをどうぞ♪
⇒次回は幕末、あの人の最後の晩餐の場所となった「角屋」について!
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