2016/06/29

「俺たちの国芳わたしの国貞」展、行って来ました

神戸市立博物館「俺たちの国芳わたしの国貞」展へ行ってまいりました。

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まずこのタイトルセンスがすばらしい。
少年漫画のように迫力満点の絵で知られる国芳に対して、少女漫画のように華やかで洗練された美人画が人気を集めた国貞。国貞のほうが兄弟子で、当時は国芳よりもずっと早く売れた人気画工だったわけですが、現在では国芳人気のほうが急沸騰。かくいう私も国貞については最近意識しはじめた部類で、こんな風に二人の作品をたっぷり見られるなんてとってもうれしい経験でした。いや、実際に3枚つづき、7枚つづきなどの連作ものを見ると圧倒されて心が震えますYO。江戸時代に飛んで片っ端から買い占めたくなりますYO!

展覧会の展示にしては珍しく写真撮影OK(フラッシュはNG)だったので、あちこち撮りまくり。

CmHkUQdUgAA-gJz.jpg「御誂(おあつらえ)三段ぼかし」歌川国貞

CmHkUQeVAAA93G2.jpg「秋野七草之景(あきのななくさしげりのけい)」歌川国貞

どうですかこのポップさ、かっこよさ。心が溶けそう。
実はこの展覧会のテーマソングをB’zの松本孝弘さんが手がけていて、とてもかっこいいのですが、それを音声ガイドで聞きながらこの絵を眺めていると、まるで絵の中から一人ずつポーズをキメながらランウェイを歩いてくるよう。音声ガイドの中村七之助丈の、時に歌舞伎の声色で絵の中の登場人物になりきる説明の仕方もまたよし。
「はて、ここは江戸か、平成か?」
不思議な感覚に襲われます。

そして私が一番、わぁっ!と声をあげそうになったのが、この一枚。いや、4枚。

CmHusaIVEAAsqeH.jpg 「里見八犬士之一個(さとみはっけんしのひとり)」歌川国貞

国貞もどうして、「俺たちの国貞」じゃあありませんか。この絢爛豪華な八犬伝の各シーン。
台詞や掛け声が聞こえてきそう。
個人的に「里見八犬伝」というと、1983年の映画「里見八犬伝」を思い出すのですが、あれもどぎついようなエンタメ作品(褒め言葉)でしたけれど、江戸時代も負けず劣らず、いやもっとギラギラしてますね(笑)いいなあ、好き好き。

20130329231236ef2.jpg ↑これです。「里見八犬伝」(1983年の映画)

もちろん「わたしの国貞」だけあって、小物までファッション性ばつぐんの美人画も多数。
私が今回心惹かれた美女はこちら。

CmH0iy9UYAUEnhs.jpg 「見立邯鄲(みたてかんたん)」歌川国貞

嫣然と微笑む団扇美人。透ける団扇の色っぽさ、そして洗いざらしの髪にさした櫛の柄の見事さ。この絵自体が団扇に刷られた団扇絵なので、この団扇を実際に手にしている女性を想像すると、それもまたときめきますね。

さて、次は国芳…と思ったのですが、存外長くなってしまったので、この続きはまた後日に。
よろしければまたお付き合いください♪
その2へ続く→



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2016/04/13

浮世絵とエドワード・ゴーリーの秘密の関係?

エドワード・ゴーリー展が伊丹市立美術館で開かれていると知り、さっそく行って来ました。

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伊丹市立美術館
「エドワード・ゴーリーの優雅な秘密展」
2016年4月2日~5月15日



ゴーリーで最も有名なのは、絵本「うろんな客」だろうと思います。

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この絵本が出たとき書店で手にして衝撃をうけた私は、そのとき使い始めたばかりのiMacを使い、さっそくネットサーフィン(死語!)。濱中利信さん(ゴーリーグッズコレクションの第一人者)が当時は個人的に通販をされておられたのでメールを送り、ポストカードやグリーティングカード、マグカップなどを売っていただいたことがあります。
そのくらい衝撃的な「うろんさ」でした。

今も私の家にはあちこちに、ゴーリーのポストカードが飾ってあります。繊細なペン先が生み出す、独特の不安をかきたてつつもユーモアを感じさせる作品は、何度見ても見飽きません。ゴーリー自身、自分の想いはこめてはいても、それを公表することはほとんどなく、見る人の印象に任せていたというので、私も勝手にその世界を楽しんでいます。

子供のころ感じた、説明のできない不安、怖さ、あるいは理不尽な世界に対する憤りをふと思い出したり。たぶん、大人が思う以上に子供は孤独だと思うんですよね(それは家族構成がどうのという意味ではなく、人間はそもそも一人だという意味で)。
そういえばゴーリーの本は大人向けと思われがちですけど、ゴーリーは子供向けに書いたつもりだったとか。私も昔、「小学校○年生が読む本」とかいうのを押し付けられるの、嫌だったなあ。自分で読む本くらい、自分で決めさせてよ、と思っていました。いやー、マセがきですねやだやだ。

閑話休題。

さて、今回の展覧会。知らない作品もたくさんあって、またゴーリー自身のことも知ることができて、とてもうれしく時間を忘れて見て回りました。

猫が大好きだったゴーリー。

ゴーリー3

30歳からバレエにはまって、バレエを題材にした作品も残しています。

そして、一番驚いたのは、ゴーリーが日本が大好きで、源氏物語からとった名前を飼い猫に付けていたこと。「ミカド」というオペラの背景や舞台衣装も担当したそうで、いかにも外国人が描いた日本風俗といった絵も。

ゴーリー5



で、ハッと気づいたのですが、これって浮世絵を参考にしてるよね!という作品がちらほら。

ゴーリー2

はい、きた、北斎!

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猫好き、浮世絵好きとくればこの後ろ姿の自画像は・・・

ゴーリー自画像




もう国芳からとしか思えません。

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私の好きなものがつながった………っ!



なんて、こんな勝手な楽しみ方もゴーリーなら許してくれそうな気がするから、また好きになりそう。

そうそう、図録も飾っておきたくなるような素敵デザイン。
またまた財布から紙の鳥が羽ばたいていきました。グッバイマイラブ!

ゴーリー4
2016/02/13

歌舞伎の絵看板は映画の予告編?

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「2016早春展 歌舞伎絵看板展 -文明開化の音がする-」
【会期】2016年1月16日(土)~3月6日(日)

本日、逸翁美術館の「歌舞伎絵看板展」へ行って来ました。
正直、展示数のボリュームとしてはそう多くないのですが、たまたま学芸員さんが説明をしてくださる時間だったようで、面白いお話をたくさんお聞きできました。
忘れないうちにφ(..)メモメモ…。

◆絵看板は映画の予告編!?
展示されているのは、逸翁美術館が所有する、明治期の上方歌舞伎の絵看板。道頓堀に巨大な肉筆の絵看板が十枚以上飾られていたそう。特に新作の場合、お客さんは一体どんな話か分からないので面白そうか判断できません。だから、ハイライトシーンを先に掲げて興味をそそったのです。
なるほど~、つまり映画の予告編のような役割があったんだな、と思って一人で納得。

◆最新の情報がこれで分かる!
はっきりいって、絵看板に描かれている役者はどれも同じ顔ばかり。さて、どうやってご贔屓の役者を探すのでしょうか。「そんなの紋に決まってるでしょ」と思ったあなたは、さすが歌舞伎通。しかし面白いのはこれからです。着物に不自然なほど大きく描かれた紋。

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このように、袂や裾に不自然なほど大きな紋が入ってます。

当時のお客さんはここを見て、きゃっきゃうふふとご贔屓さんを見つけて楽しんだわけですけど、もしその役者が病気で休演した場合、代役の紋をその上から貼るんだそうです。元の役者が戻ってくれば、またその上に紋を貼る。つまり、最新の出演者が分かるリアルタイム絵看板なわけです。似顔絵などにせずだいたいみんな同じ顔というのも、そういう利便性があるからだそうで。

◆明治の歌舞伎は流行りものがいっぱい!
今までの役者絵の構図などは踏襲しながらも、描かれている役者は着物に革靴をはき、手にステッキをもって帽子をかぶった銀行員や、カンテラをもった郵便夫。文明開化前なら、通行人がわざわざ風呂敷包みを抱えているところを描くことはありませんが、明治に入ってからはこれでもかとばかりに革のカバンを持たせたり、主人公を洋行させたり、牛鍋屋の店先をそっくりそのまま背景に描いたりしていて、いかに新しいものを貪欲に取り入れようとしたかが分かります。看板絵には、当時の人々が何に目を見張ったか、新しいと思ったかが如実に描かれているのですね。北野天満宮の場面で、牛車が出るところに人力車が現れ、その周りで車夫や女性(女形)の学生が踊ったりしているもの面白い。
そうそう、日本では古代以降、指輪は装身具として使われていませんでしたが、明治期に入ってもてはやされだしたというの、言われてみればなんだか不思議ですね。指輪を盗った盗られたのという作品も明治期に上演されたそうで、まさに歌舞伎は世につれ、世は歌舞伎につれ。

◆職人技が光る細部まで見逃せない!
看板絵に描かれた刀には、わざわざ金属紙を貼って光の加減でぎらりと光る工夫があったり、提灯に白い紙を貼って灯りがともっているように見せたり。看板絵なのでお客さんは遠くからしか見ないわけですが、なかなか細かい仕事がなされている様子。小さな鏡にも金属紙が貼られ、そこに小さく龍の絵まで写り込みとして描いてあるとか。「分かる奴だけ分かりゃいいのよ」という、職人の声が聞こえてきそうです。そうそう、絵の具は泥絵といって廉価だけれど発色に優れたもの。

◆私的注目ポイント!
明治期には、イタリアから来たチャリネ曲馬が日本でブームになるんですが、なんと歌舞伎でこのチャリネ曲馬をモデルにした作品を上演しているんですね。びっくり!團菊が演じてました。しかも黙阿弥作。
今回展示された、文明開化時期の歌舞伎作品は、散切り頭から「散切りもの」と呼ばれますが、再演されているものはほとんどないそう(一作品だけ再演されたそうですが、それもすでに30~40年前の話)。上演当時は最先端だった風俗は、10年経ち、20年経てば、残念ながらすべて陳腐、時代遅れになってしまうからですが、でも案外今の感覚を取り入れながらこの散切りものをやると面白そうな気がしたり。

以上、ざっくりとですが覚書きまで。展覧会は土日になると学芸員さんの解説があるところが多いようですが、やはり解説があると説明文を読むだけより楽しいものですね。
2013/06/13

扉の向こうの江戸へ②~明治大学博物館、国立科学博物館ほか~

前回は江戸東京博物館、深川江戸資料館のことを書きましたが、
今回はもう少しマニアックな博物館や展覧会を主に纏めてみます。

明治大学博物館(刑事部門)

商品部門、考古学部門と他にもある展示部門の中で、異色なのがこちらの刑事部門。
主に江戸時代の刑罰について、復元資料などを通し学ぶ事ができます。

ここにもスタッフの方がいらっしゃるのでガイドをお願いしました。
(常駐ではなく曜日によってなので、行かれる際は事前に確認されることをおすすめします)

丁寧に説明していただいたので、この部門だけで一時間以上かかっていた気がします(笑)

まずは高札やら当時の法律、武家諸法度などの展示から。
江戸初期の武家諸法度の内容は

「文武『弓道』をたしなむように」

だったのに、やがて太平の世になるとそれが

「文武『忠孝』に励むように」

と変わっています。
戦国時代なら、部下にガンガンに武芸の腕を磨かせることが大事だったわけですが、
戦のない時代には、主従の縛りはメンタル面へ移った、ということですね。

そして捕物のコーナー。
面白いのは捕縛する縄に、中国の五行思想から来る色が付けられており、
四季によって使う色が決まっていたということ。
玄武=黒(冬)朱雀=赤(夏)青龍=青(春)、白虎(秋)、黄龍=黄(季節の変わり目)

といっても実際には北町奉行所が白、南町奉行所が紺色と、
奉行所によって使い分けていたそうです。
あくまで正式には、五色の色分けがあったということで。

犯人を捕縛する道具も展示されています。
突棒(つくぼう)、刺又(さすまた)、袖搦(そでがらみ)の
三つが捕物三道具と言われていたとか。
基本的に生け捕りにしなければならなかったので
武器は使えません。
犯人の方は武器を持って暴れたりもするわけですから
捕らえる方も命懸け。
なのでなるべく犯人に近寄らなくて済むように、
長い棒状の物で相手の動きを封じる道具が用いられたんでしょう。

捕まった犯人は小伝馬町の牢屋敷へ入れられます。
この牢の中には容疑者が入れられているわけです。
現在の刑務所と違うのは、終身刑がないことだと聞きました。
捕縛された犯人は拷問などで自供させられ、その後沙汰が出れば、
即日に刑が執行されるのです。
(遠島などの刑の場合は、船の出航の関係で
暫く牢に留め置かれることもあったりと例外はあったようですが)
つまり打ち首と決まれば、その日の内に首が斬られると。

さてその拷問ですが・・・。
①笞(むち)打ち
②海老責め
③石抱き
④釣るし責め
というような種類があったようです。
(正確には①~③は「牢問い」、④が拷問と呼ばれていたようです)

「むちうち」と聞くと乗馬鞭のような長い紐状のものを思い浮かべますが
そうではなくてガッシリした棒です。
へえーと思ったのは、笞打ちの際には医師が立ち会っていたということ。
血が流れた後、一応手当はしてくれたようです。
でも簡易なものであったそうですが・・・。
多分出血死してしまわない程度のものだったんでしょうね。

いずれも聞いただけで「いたたたたっ!」
ぶるってしまいます。
ほとんどの囚人が、こんな拷問をされると聞いただけで
白状してしまったことでしょう。
もし無実であっても・・・。

恐ろしいのは拷問だけでなく、処刑の仕方もです。
磔となれば、大の字(女性は足は開かない)に架けられて、
何十回も両脇から槍で刺されまくります。
(明治時代初期の磔刑の写真が展示されていますが、
白黒ながらぞっとしてしまいました・・・)

放火犯ならば火あぶり。生きながら焼かれます。

恐ろしや・・・

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(左)放火犯が処せられる火炙りの台 
(右上)三角形の板を並べた算盤板の上に座らせられ、
一枚50キロもある石を膝に乗せられていく「石抱き」の牢問い。
なかなか白状しない時は揺すられたりもしたそう。
(右下)西洋の拷問具、ギロチンも何点かありました。
これは有名な「鉄の処女」。博物館のグッズコーナーではキャラクター化してました(笑)


他には大岡越前、長谷川平蔵の署名のある
判例集も展示されていましたよ。
テレビの時代劇がぐっとリアルになります。


国立科学博物館「江戸人展」
※展覧会「江戸人展」は2013年6月16日までで終了。

上野の科学博物館。
ここが江戸時代の人骨をたくさん保管している、というのは
テレビで見て知っていたのですが、
それが今回展示されると聞いて、どうしても見ておきたいと
思ったのが今回の旅行のきっかけでもありました。

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入ってすぐの場所に、このようにずらりと頭蓋骨が並んでいます。


東京の地下にはたくさん人骨が埋まっていて
どこを掘っても大抵出てくるんだそうです。
これは主に、お寺があちこち移動したためと言われています。
移動の度にお墓を掘り起こして骨も移動させるわけですが
取りこぼしも多かったためだとか。

骨はたくさんの事を教えてくれます。
以前徳川家のお墓が発掘された時も、その遺骨から
生活習慣や養生法、死因など詳しい情報が分かりました。
(「徳川家将軍十五代のカルテ」、「骨は語る 徳川将軍・大名家の人々」)

基本的に将軍や大名などは、現代的な細い顔をしていたようです。
食事が柔らかいものなので顎を使う必要がないからでしょうね。
それに比べて庶民はえらの張った四角い顔が多かったようです。

また江戸時代の人々は全体的に、日本の歴史上最も体が小さかったとのこと。
今回の展示でも

「男たちは一般に背が低い。下層の労働者階級はがっしりと逞しい体格を
しているが、力仕事をして筋肉を発達させることのない上層階級の男はやせている」


「(日本女性は)背は低いが体格はよく、首から肩、胸にかけての部分は
彫刻家のモデルになれるほどだ。また手足の形が良く、びっくりするほど小さい」


というエドゥアルド・スエンソンの『江戸幕末滞在記』からの文章を引いて
駕籠かきと思われる男性の骨や、帯できつく締めていたため胸のあたりの骨が変形した
女性の骨などが展示されていました。

労咳や梅毒といった病気で亡くなった人の骨もあれば、
死後試し切りをされたと思われる、背骨がいくつも寸断された骨もありました。
(罪人は処刑後に、刀の試し切りに用いられることがあったようです)

労咳と言えば沖田総司や高杉晋作が浮かびます。
結核菌は骨にまで感染することがあるそうで、部分的に溶けてしまうんだそうです。
どれだけ苦しく痛かったことか・・・。

また芹沢鴨が梅毒にかかっていたという話もあります。
浪士組から外れ京に残ったのは、病気が悪くなっていたからだと。
梅毒にかかると最終的に脳や脊髄がおかされて亡くなってしまうそうですから、
もしそうだとすれば、芹沢は自暴自棄になっていたのかもしれません。
これは単なる私の想像ですけどね。

ほかには「日本人の女性はわざと化物のように醜く化粧をする」
と外国人からは酷評された白塗りの実際の効果や、
様々な種類の髪型、化粧道具の展示などがありました。

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左が明るい中で見る白粉を塗った女性ですが、右のように明かりを消すと・・・
日本人形のように美しい肌が浮かび上がります!どうだまいったか!(誰に?)


あとは、鉄漿(おはぐろ)の匂い!
当時のレシピ通りに再現されたものを嗅げるのですが、
あまりの異臭に修学旅行生達が悲鳴をあげていました(笑)
ネットの感想を見ても「何日も洗っていない足の裏の匂い」とか・・・。

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(左上)白粉を水に溶かし、濃さを調整した「白粉三段重」や、白粉の包み紙など。とても綺麗でカワイイ。
(右上)鉄漿(おはぐろ)道具一式。
(左下)横兵庫と呼ばれる髷。吉原の遊女が好んだそうです。
(右下)眉を書くときの位置などを詳しく説明している、お化粧マニュアル本と刷毛など。
眉のテンプレートを思い出しましたよ(笑)



そして予想外に驚いたのが「自分でミイラになってしまったお爺さん」。
名前は分からないそうなのですが、本草学の学者だったらしいです。
死後ミイラになるから「後世に機会があれば掘り出してみよ」
と家族に宣言して死んだそう。
そして後に掘り起こしてみると、ちゃんとミイラになっていたと。
実物は展示されていなかったのですが、
この方の体をCTスキャン?した映像が流れていました。
どうしてミイラになれたか・・・その方法は不明らしいのですが
体内に食べた柿の種や実がたくさん残っていたので、
それが影響しているのか、と現代では考えられているようです。



さて、次回は史跡巡りの話を・・・と思っていたのですが、
ちょうど明治大学博物館で江戸時代の刑罰について見た後、
神保町の古書店でそれにまつわる面白い本を見つけたのです。
こういう偶然の発見は興奮ものですよね~。
ようやく読み終わったので、それについて書いてみたいと思います

無駄に長く更新もゆっくりペースですが、よろしければまたお付き合いください
2013/06/11

扉の向こうの江戸へ① ~江戸東京博物館、深川江戸資料館~

地方の江戸好きにとって、
「江戸」は書籍やテレビの番組の中だけで
実際の土地の空気やネイティブな感覚に、
触れることができないのが辛いところ。

数日の滞在で何が分かるんでいっと
江戸っ子に言われるかも知れませんが
東京ではなく「お江戸」へ行ったつもりで三泊四日の一人旅を楽しんできました。

江戸にまつわる博物館や史跡、そして神保町の古書街を巡ったりなど・・・。
何はともあれ備忘録ついでにブログに纏めてみることに。
まずは博物館などの箱ものを二回にわたってゆっくり書いてゆきます。


江戸東京博物館


ここは以前から行ってみたかった場所の一つ

わくわくしながらも前の時間が押してしまい、閉館より一時間半くらい前に入ることになりました。
本当は二時間くらいかけたかったけど、仕方ない。なんとかなるだろう、なんて思ったのですが、
これが大失敗!

まず受付で「常設展と展覧会、どちらにされますか?」と聞かれたので
「両方を!」と元気よく答えたのですが、受付のお姉さんが困った顔になって
「・・・今からのお時間ですと、どちらか一つかでも厳しいかと」
なんてことを仰る。

えーー!そんなぁぁぁっ!!

慌ててみても仕方ない。
展覧会の「ファインバーグ・コレクション展 -江戸絵画の奇跡-」も見たかったのですが
まずは常設展を見ることにしました。

しかし入ってみるととんでもなく広い。
建物の5階、6階の全てが江戸ゾーンと東京ゾーンになっていて、
まずはエレベーターで6階にあがり、その後5階へ下りるかたち。

エレベーターを出るとそこには江戸へと続く日本橋が。
病院の階段から転げ落ちなくても(ドラマ「仁」より)、
ちゃんとここに江戸への入口がありました

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復元された日本橋。
江戸市中で擬宝珠が飾られた橋は、日本橋と京橋、新橋だけだったそう。  



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(左上)歌舞伎座を復元した建物。 (右上)阿蘭陀船図説。なかなかカラフルです。
(左下)身分の高い人が乗った御駕籠(詳細失念) 
(右下)寛永の町人地のジオラマ。精巧です。


大名屋敷や町人地のジオラマから、大名の出世双六(双六好きだなあ、江戸の人)などなど
夢中で見ていたら6階だけで時間が過ぎてしまいました

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大名屋敷のジオラマ。闇に浮かび上がる門。いかめしい!

駕籠に乗れたり、肥溜め担いだり(すごい重い。でもなぜこれが・・・)体験もできます。
もちろん駕籠は置いてあるのに乗るだけ。
一度担いでもらいたいもんですね。

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色ごとに版を変え少しずつ出来上がってゆく浮世絵の工程。
イラストレーションソフトのレイヤーみたい。


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こちらが浮世絵ショップ、絵草紙屋。
本屋というより堅苦しくない、今でいうと雑誌とかブロマイド、ポスター
を売ってるような感じがしますね。



後半は駆け足。
江戸から一気に近代化してゆく様に改めて驚きます。
着るもの食べるもの、髪型から言葉も外来語混じりに変化。
コンピュータや通信技術が目まぐるしく進歩する今よりも
もっとすごい根底からの変わりようですよね。

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残念ながら時間切れ。
次回は二時間どころではなく、半日くらい覚悟して
行くことにします。



深川江戸資料館


圧倒されるほど広かった江戸東京博物館に比べ、
こちらはこぢんまりとしていて、
展示物も復元された船宿や下町の長屋などがメイン。
しかしここにはガイドさんが常時おられるようで、
お願いすると細かく説明してもらえます。
これがすごく良かった!

長屋の一つひとつの部屋にもテーマがあって、
ここはあさりのむき身を売るぼて振り(天秤棒で担いで売り歩く商人)
の独身男性の部屋だから竈も小さく、貧しいから畳がしいてないとか、
ここは三味線を教えながら暮らしてる女性の部屋だから、
置いてある風呂敷や壁の飾りもどこか垢抜けて華やかだとか。
細かな設定が分かれば分かるほど楽しくて、色々な部分に目が行きます。


(左上)入ってすぐ飛び込んでくる風景。
長屋の屋根は瓦だと重すぎるので木だったようです。
(右上)最初は手拭いでも干してあるのかと思ったのですがさにあらず。端切れを売ってるんだそう。
担いで売りに来るのを長屋のおかみさん達が買って、当て布に使っていたとのこと。
(下)猪牙船。



(左)長屋の中。復元された建物の中は、どこも靴を脱いで上がれます。
(右上)この杵みたいなマークは三味線教室の目印だそう。障子に住んでいる人の名前が貼られています。
(右下)家族がいる家は、子供のために疱瘡除けのお守りが戸口に掛けられていたり。




↑お金持ちの蔵には下に泥が置かれています。
火事となったらこれで蔵の隙間を塞いで密封状態にして、
中の米や財産を守るのだそうですよ。


船宿の復元。

他にも、船宿とは宿泊施設というより
舟遊びをする人が芸者さんと待ち合わせするところだったなど、
たくさんのお話を聞くことが出来ました


これは天ぷら屋。天ぷらは串に刺して売られていた。

それにしても長屋にある竈やその周りのキッチンスペースの小さいこと!
しかも煮炊きするときの煙を逃がすように上に穴はあれど、
密集する長屋の中でどれだけ効果があったか。
実際に見てみると、当時の長屋の人々が家で手料理するより
ぼて振りからお惣菜をよく買っていたというのが納得できます。
また江戸は男の数の方が多く、
独身者や地方から単身赴任してるお父さんも多かったから尚更ですね。

展示物の数は江戸東京博物館のほうがそれはそれは多かったのですが、
ガイドさんが詳しく説明してくれたことで、
印象深かったのは深川江戸資料館の方でした。
こちらは着物を着ていくと景色に溶け込んで、
本当に江戸の住人になれそうですよ


次回は明治大学博物館、国立科学博物館「江戸人展」などについて書く予定です。


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